保護猫
ある日、野良猫がうちの庭に来るようになった。ガリガリに痩せ細り衰弱したオス猫。鋭い眼光。全てを疑い、恨んでいるような目をしていた。
あれから4ヶ月。野良猫はすっかりうちの猫になった。放っておこうと思えばいくらでもそうできた。でもしなかった。理由は分からない。決して可哀そうとかではない。誰かを、あるいは何かを可哀そうと思うのは好きじゃない。
日常の中に猫に費やす時間ができた。餌をやったり、薬を飲ませたり、ブラッシングもすればナデナデする時間まで。それは「良い時間」だ。決して時間をロスしているのではない。夜鳴きすれば起きて相手をする。わざわざホームセンターまで餌の買い出しに行く。定期的に病院に連れて行く。正直、面倒と思う時もあるけど、決して無駄な時間ではない。それどころか、思ってもみなかったけど、そんな時間は私の心を豊かにしてくれるのです。誰かの為に(それがたとえ猫だとしても)何かをするというのは、人の心を潤し自然と笑顔にしてくれる。じゃ、つらい介護もそうなのか?と言われたら言葉に詰まってしまいますが…。なので全てがそうではなく、あくまで「概ね」かもしれないけど、誰かの為は良い時間、豊かで意義のある時間だといっても間違いじゃないと思うのです。
とはいえ、怠惰な毎日に変わりはなく。目に見えるものは殺伐とし、息をしても空気は澱んでいる。そんな私を猫はどう見ているのだろうか。
ウィンナー/大根
質素ですわ~w